娘。

 

大黒柱を失った家庭は、どうなっているか気になります。
失ったとはいっても死んだわけではなく入院中なだけですけど。

 

家族みんな、心配してくれたのは倒れて入院した数日間だけでした。

 

入院当初、焦点が合わず見てるもの全てが二重に見えてる間は、
さすがに容態が心配だったそうですが、それが治ってからは、
どうやらあまり心配しなかったようです。

 

私自信は、不安で不安でどうしようもない時期がありましたけど、
まぁ精神的なことは別にして、
身体的には、日に日に状態は良くなっていきましたから。

 

入院して数十日は、家族全員で見舞いに来てくれました。
入院してかなり経ち、だんだんと家族の見舞い頻度が減ってくる中、
娘だけは毎日のように仕事おわり等に来てくれました。

 

感心するほどに。

 

来ても暇なのに。

 

あまりにも見舞いにくるため、何人かに私の奥さんに間違われましたが。
間違われるその度に娘はヘコんでました(笑)

 

私は元々口数が多い方では無いです。
病気の後遺症でうまく喋れないので、さらに口数が減ります。
きっと退屈だったと思います。
退院前、何週間は言語のリハビリを含め、
かなり口数は増えていたと思いますが。

 

「すぐ暗くなるから早く帰りな」
入院中、私がよく言っていた台詞です。
来てくれて、いつもすごく嬉しかったくせに。

 

自分の家庭を持っていたら、中々そうはいかなかったでしょうね。

 

毎日のようにバスに乗って、病院へ見舞いに行くなんて。

 

それも不摂生をしていたかもしれない父親の見舞いになんて。