発症

 

それは突然でした。

 

2015年11月18日(水曜日)
夜7時頃
突然、目まいがしました。

 

いつものように自室で椅子に座って、パソコンで仕事の図面を描いていましたが、
目まいで椅子に座ってられません。
椅子から滑るように降り、横になりました。

 

すぐ治るだろうと安易に思っていました。
本当に何事もなくすぐに治るだろうと。

 

ところが・・・

 

目を開けていても周りが見えたり見えなかったり、頭の中がグルグルまわり
思うことは 「なに? なに? なに? どういうこと?」 ばかり。

 

治らない・・・

 

治らないぞ・・・

 

全然治る気がしなくなりました。

 

その日は雨が降っていました。
雨の音だけが頭に響きます。
そう。意識はあるのです。

 

そのうち・・・

 

死を考えた。

 

こんな形で死ぬの? こんなんで死ぬの?って。

 

・・・

 

えぇえええええぇえええええ?

 

と、と、突然死かよぉおおおおお?

 

何が何だかわからないのです。

 

目を開けていても周りが見えたり見えなかったり、頭の中がグルグルまわり
本当に夢か現実かわからない状態です。
なんかもう朦朧としてきます。

 

・・・

 

後から調べましたが、脳幹梗塞という病気には前兆があるといいます。が
何にも無かったぞ! 突然だ! びっくりだ!
 
○ 朝起きたときの手足のしびれや麻痺。 
○ 突然言葉が出なくなる。
○ ろれつが回らなくなる。
○ 箸を落としたりする。
○ 物忘れがひどくなった。
○ 頭が痛い。
○ 頭がぼーっとすることが増えた。

 

後から調べたこれらの症状は何にも無かったぞ!

 

あ、10月のおわりになんとなく頭が変だな・・と思うことがありましたが、
すぐに治り何事もなかったようになりました。
今思えばあれが前兆だったのかな・・・ つーか、3週間も前だぞ!

 

でもいやまぁ、出先でこんなことにならなくて良かった。
自宅にいる時で本当に良かった。
不幸中の幸いというか・・・
これがもし自動車を運転している時に突然こんなことになったらと思うとゾッとします。
また、繁華街や電車の中とかだったら大騒ぎになっていたでしょうね・・・

 

 

話を戻しますが、

 

こりゃ119番だ! 救急車を呼ばなきゃ!

 

周りが見えず朦朧としていましたが、意識はあるのでそう思いました。

 

しかし、長年使い慣れたガラケーなら自分でテンキーを押して
119番にかけれたかもしれませんが、
iPhoneに変えたばかりで電話をかける画面を何にも見ずに出せない!
仮に出せたとしても画面を見ずに番号を押すことは出来なかったでしょう。

 

会社の電話の子機がズボンのポケットに入っていたのをこんな時でも思い出し
119番にかけようとしましたが、この会社の電話も新しいタイプに変えたばかりで
何も見ずに手探りだけでテンキーを押すことが出来ない!

 

・・・こりゃ自分で119番に電話するのは無理だ!と諦めました。

 

ゆっくりゴロゴロ転がることは出来たので、部屋の入口まで行って
なんとか腕を伸ばし部屋の扉を開け、実妹の名前を呼び続けました。

 

すごいなオレ。と今更ながら思います。

 

このとき自宅にいたのは、私と実妹とたまたまいた息子。
私が居たのは2階の1室。ひとりでした。
実妹と息子は1階のリビングにいました。

 

自分ではかなり大きな声で実妹の名前を呼んだつもりですが、
さほど大きな声ではなかったようです。

 

実妹が階段を1階からのんきにのぼって来て、私が倒れてるのを見つけて一言

 

「いやだ、なにしてんの」

 

いや、なにしてんのって・・・私お得意の冗談だと思ったそうです。

 

そりゃそうか。いつもおちゃらけてたもんな・・・
冗談なら良かったのにね。いや、ほんと・・・

 

その日、たまたまいた息子が実妹の後から階段をのぼって来て
瞬時に私が普通じゃない状態に気付き、119番に電話をかけ、救急車を呼びました。

 

よくやった!

 

間もなく救急車が到着し、救急隊員の人達が私の元に来てくれます。
助かった。。そう思いました。

 

しかし、すぐには救急車に乗せてくれません。
救急隊員の人達に いろいろ質問されます。
「ご主人? ご主人? どうされました?」って

 

どうされました?って見りゃわかんだろ!倒れてんだよ!と思いましたが
助けて!お願い!の気持ちの方が大きかったです。(当たり前か)

 

「お名前は?」とか 「生年月日は?」とか 「今日は何月何日?」とか
いろいろ聞かれます。
朦朧としてるので、もうなんか遠くから聞かれている感じでした。
でもなんとか意識があるので答えます。

 

早く病院に連れっててくれ! 正直そう思いました。
すごく長い時間に感じました。
実際は大した時間ではなかったのでしょうね。
まぁまぁ意識があることを確認されてからようやく救急車に運ばれました。

 

家を出て救急車に乗せてもらうまでの少しの間、雨が顔に当たります。
雨が顔に当たる感触を忘れられません。
ものすごく冷たく感じました・・・

 

・・・

 

これは全然覚えていないのですが、後から息子に聞いた話です。
家の前で私が救急車に乗せられたあと、息子が救急隊員の人に
「なにかご主人の履物を用意してください」と言われ
家の中に戻ろうとしたとき、私が「あいふぉん」と言ったそうです。
どれだけiPhoneを大事に思っていたのでしょうね。
奥さんの名前や子供たちの名前を呼ぶわけでもなく「あいふぉん」って・・・
まぁ当然、息子は無視したそうですが。

 

 

どのくらい救急車に乗っていたのだろう。。。
息子が救急車に一緒に乗ってくれました。

 

受け入れ先の病院までの搬送途中、あくびが出ます。
これは覚えています。
息子に「何あくびしてんだよ!」って言われましたが
眠くてしてるんではないし、なぜか出てしまうんです。
普通ではないですね。
病気のせいですね。
眠いわけではないのに・・・

 

病院に到着してからのことは、安心したのかあまり覚えていません。
朦朧としていましたし。
ベッドに寝せられ、着ていた服を脱がされ、病衣を着せられ
MRIを撮ったくらいは、なんとなくだけど覚えていますが・・・

 

どうやら運び込まれた病院は、脳神経外科病院のようです。
自宅から車で30分くらいの場所みたいです。

 

病名は後から駆けつけた奥さんに聞きました。

 

医師から
「ご主人は脳幹梗塞です。1ヶ月から6ヶ月の入院が必要です」
と言われたそうです。

 

びっくりしただろうなぁ

 

びっくりなんてもんじゃなかったそうですが。

 

医師からMRIで撮ったであろう写真を見せられて、
いろいろ説明されたみたいですが、
気が動転して何がなんだかさっぱりわからなかったようです。

 

ただ、何やら私の頭の中に真っ白い稲妻みたいな線が
クッキリと入っていたのが印象的だったそうで。

 

もっと時間が経っている状態ですと、
白い稲妻みたいな線がぼんやりするそうです。
私はそれを見ていないので、どんな感じなのかわかりませんが。

 

まぁ息子がすぐ救急車を呼んでくれたから良かったみたいです。
どうも発症して
3時間だか4時間だか以内に点滴することが大事だったようで。

 

私は3時間以内に点滴してもらえたようです。
後述しますが、
3時間以上経っていたらもっと酷い後遺症だったのかな・・・
わかりませんが。。

 

・・・

 

奥さんの後に駆けつけた娘が、ベッドの横で泣いています。
私は「大丈夫だよ。明日帰るから」と か細い声で言いました。

 

この時は本気で帰るつもりでいました。
まさか3ヶ月以上の入院生活になるとは夢にも思わず・・・

 

 

完全看護の病院のようで(今は何処もそうなのかな)
その日、ひとまず家族は帰ります。

私は朦朧とした状態で
病室のベッドに点滴したまま横たわっています。。

 

・・・

 

自宅で倒れたときとか 病院に緊急搬送されたときとかは、
なんでもなかったような気がします。。

 

徐々に症状が現れてきたのでしょうか。。

 

あとから気づいたのですが・・・

 

・・・

 

なんと右手、右足が動かないのです!

 

右手も右足も触った感覚はありますが、ほとんど動かないのです。。

 

それに右手の指先は感覚はあるけど全てしびれている。。

 

それと、しばらく病室に鏡がなかったのでわからなかったのですが、
顔の右半分が垂れ下がっていたようです。
元々、顔の右半分は少しだけ下がっていたようですが
それが、さらに!(奥さん談)

 

どうやら右半身が麻痺してしまったらしいのです。

 

また、ろれつが回らなくてちゃんと喋れない!

 

うわぁ

 

「死にたい」

 

正直そう思いました。

 

50年以上生きてきて初めて本気で思いました。

 

今まで普通にしてきたこと、
普通に当たり前だったことが出来ないのです。

 

さっきまで・・・ 数時間前まで普通に生活していたのに。

 

・・・

 

また、見ているもの全てが二重に見えます。

 

医師や看護師にペンライトで目に光を当てられ、光を動かされても
片目しか光について行かなかったそうです(奥さん談)

この状態が2日以上続きました。

 

焦点が合わず、見ているもの全てが二重に見えてる間は地獄でした。
ずーっとなんですから。
目を開けていられなかったです。

 

これは入院して3日目でようやく治りました。

 

家族は、
このペンライトの光に片目しかついて行かなかった状態が衝撃的だったようで、
未だに言います。
とにかく治って、ほっとしました。
死にたい気持ちに変わりはなかったけれど・・・